私の音楽歴(2)
日本に帰国後は、やはりフロリダの田舎のようにはいかず、
中学3年生の時や、芸大附属高校1年生になって受けた
全日本学生音楽コンクールでも、予選は通りましたが
入賞はできず、そもそも芸大附属高校に合格できたことも、
驚かれたほどでした。
芸高では、当時同級生のヴァイオリン科の学生の中で、
実技は下から数えた方がいいくらいだったと思います。
でも当時は、ただただ上手になりたい一心でした。
レベルの高い同級生や先輩、後輩に刺激を受け、
素晴らしい先生方から、曲をどう仕上げていくか、
細かく教えていただき、その教えを練習で自分なりに
消化していくことで、表現技術を覚えていきました。
そして高校2年生の時、日本音楽コンクールで入選できた時は、
自分でもびっくりしました。
前年には、学生音楽コンクールで入賞もできなかったのに…
翌年には、日本国際音楽コンクールに挑戦しましたが
玉砕でした。この頃から、自分の演奏の出来のムラが大きすぎる
ことに、悩み始めます。
なぜ、いつも良い演奏ができないのだろうと。
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