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私の音楽歴(7)

国際コンクール歴がもう少しないと、音楽界で信用されないだろうなと

思い、次に参加するコンクールを、1993年に行われるエリザベート

王妃国際コンクールに決め、練習を始めました。 このコンクールは、曲目が更に多い上に、本選では、1週間隔離されて

新曲を仕上げて演奏するという審査もあり、国を挙げての大変大きな

コンクールです。 挑戦すると決めたものの、ヴィエニヤフスキ・コンクールで燃え尽きて

しまったのか、なかなか心の底からの表現ができず、でも周りからは

「入賞者」相応の演奏を求められることに、苦しんでいました。 そのため、演奏の出来不出来は、その時の精神状態にかなり左右されて

いました。

それ以前にあった演奏のムラとは、また違ったものでしたが、精神状態

に左右されていた点では、同じでした。 そしてこの状態のまま、エリザベート王妃国際コンクールに参加する

日が来てしまいました。 このまま終わってしまったらあまりにも悔しいと、必死であれこれ

考えながら練習し、1次予選の直前になって、やっと「この表現なら

緊張しても大丈夫かな」という状態にまで仕上げることができました。 1次予選を通過できた時には、心底ホッとしたのを覚えています。 2次予選も同じようなギリギリの感じで演奏し、

「ここでダメかなぁ…」と半ば諦めていたので、

自分の名前が呼ばれた時には、嬉しかったのですが、このまま本選に

進むことに不安もありました。 そして、一週間隔離されて、その建物の外の人とは誰とも電話もできず

遮断された環境で、新曲を練習したり、ピアニストとリハーサルしたり

して、他の本選出場者とともに本選当日まで過ごしました。

本選では、その時の本来の自分が出てしまい、付け焼き刃のような対策

では、もうどうにもなりませんでした。 ゲネプロ(本選直前のオーケストラとのリハーサル)の方が、

まだ気持ちが乗れていました(それでも、すごく良かった訳でも

ありません…)が、本番では今一つ乗れずに、全てが終わって

しまいました。 弾きながら、「これはダメだな」と思って、表面は取り繕いながら、

心の中では泣きたい気持ちでした。 最下位の 12位でもおかしくないな、と思っていたので、6位で呼ばれた

時には、予想以上の順位に嬉しい気持ちと、「いいのだろうか…」と

いう戸惑いとがない交ぜになりました。 この入賞後、エリザベート国際コンクールの時に露わになった

「心の底からの表現ができず、平凡な表現になり血の通った惹き付ける

演奏にならない」という悩みに、長い間苦しむことになります。

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