私の音楽歴(4)
更新日:1月7日
1990年の後半だったと思いますが、芸大1年生の時に
名古屋のスタジオ・ルンデで、初めて、合同で
自主公演をさせていただきました。
スタジオ・ルンデでは、当時公演をビデオに撮って
くれたのですが、他のホールでは、ビデオまでは撮って
くれませんので、これは本当に有り難いことでした。
というのも、終演後いただいたビデオを見て、
自分の演奏のあまりのひどさにショックを受け、
このことは1つの転機になったからです。
今のように簡単に動画など撮れない時代でしたので、
なかなか自分の演奏を自分で見る機会はありません
でした。
そのため、ビデオで見た自分の演奏があまりに
理想とかけ離れていたことが分かり、
かなりショックでした。
何度もビデオを見て原因を探しました。
そして、自分なりの結論として、基礎(特にボウイング)
が自己流になっていて、表現したいと思ったことが
きちんと音に出せていないと思いました。
そして、まずロングトーンを綺麗にしたいと、
必死で練習し直しました。
先生はもう手取り足取り教えてくれない年齢でしたので、
有名なヴァイオリニストの演奏ビデオを見たり、
鷲見三郎先生の「ヴァイオリンのおけいこ」という本を
参考にしたりして、ひたすら綺麗なボウイング(指弓)を
目指して、練習しました。
自分では、「これで良いのだろうか?」と半信半疑のまま
練習していたので、あまり良くなった実感はなかったのですが、
少しは効果があったのか、翌年から受けた3つの国内外の
コンクールで、全て結果を出すことができました。
恐らく、ボウイングを改善したことで、表現しようとしている
ことが、前よりも確実に音に表れるようになったのかなと
思います。
まず1月に、ザルツブルクで行われた国際モーツァルト・
コンクールに参加しました。
モーツァルトが得意だった訳ではありません。
できるだけ国際コンクール経験を積むことで
コンクールに慣れていきたかった、という単純な理由でした。
当時はコンクールを受ける本当の目的を何も分かって
いなかったな、と冷や汗ものです。
この時、他の参加者の演奏を聴いて、ヨーロッパの国の
参加者の弾き方と、日本人などアジア系の参加者の弾き方は、
何か根本的に違うなぁと、カルチャーショックを受けました。
ヨーロッパの国の参加者は、音に空気を含ませるような
響かせ方で弾くのですが、アジア系の参加者は、
もっと張り詰めたピーンとした艶のある音で弾くのです。
ロシアの参加者は、ヨーロッパの国の参加者とはまた少し
違い、力強さがありました。
ヨーロッパの参加者の中でも、出身国によって少しずつ
違いがあったように思います。
文化や言語、演奏環境など色々なものが関係しているのかも
しれませんが、ヨーロッパからの参加者の弾き方に、
とてもインスピレーションを刺激されたのを覚えています。
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