完璧な人はいない
- 浅野千恵

- 2023年9月23日
- 読了時間: 2分
日々いろんなことがあり、いろんなことを思うのですが、私は根がネガティブなのか、すぐに「こうするべきなのに、できてない」「これがダメなんだ」と思い、落ち込みがちなところがあります。
でも、考えてみたら、完璧な人はいないのだから、できてないところがあっても当たり前で、できていないなら、ただそれをできるように努力すればいいだけじゃないかと、頭だけの理解でなく、やっと思えるようになりました。
そして、元々の性格の不器用な自分と、冷静に言い聞かせるもう一人の自分、どちらも自分で、否定することはない、ということも、以前ブログで取り上げたヨガのテキストから学びました。
何をもって完璧とするのか、という問題もありますし、それよりも、ただただ、より良いものを目指し、求める、という姿勢で、行けたらいいなと思います。
そうは言っても、感情の起伏の激しい私は、いつも葛藤してしまうのですが…でもそれも冷静に別の自分が眺めていて、やっと否定せず見られるようになりました。
そして、完璧という点では、もう一つ思うことがあります。
何かを非難したくなる時、自分は非難されないだけの人間なんだろうかと振り返ると、決してそうではないことに気づき、ハッとします。
非難されない人間って、完璧でないとなれないかなと、私は思うのですが、完璧な人間って、居ないのでは…と。
世界中で、昔から紛争や戦争が絶えませんが、大概の場合、一方の価値観から見て、それに合わない場合や、一方の欲に絡んだ場合に起こるような気がします(話が飛んでるように感じられるかもしれませんが…戦争も、ある種一方からの非難なのかなと思ったので)。
本来は、色んな価値観があるから、紛争や戦争が起きないよう、お互いに理解しあえるよう、話し合いで解決していこうという発想で、民主主義は生まれたのかなと思っていたのですが、最近は、自分の主張の方が強くなり、お互いに理解しあおうという発想が薄れているような気がしてなりません。
理解しあうというのは、長い歴史があるとわだかまりが深く、余計に難しい側面があるのは承知していますが…
どこかで「許す」という発想がないと、絶対にぶつかってしまうだろうなと。
でも、それはその当事者が気づかないと難しいことだと思います。
また、歴史は綺麗ごとだけではなく、強いものが残ってきたというのも事実で、それはその人それぞれの選択なのかなと思っています。
でも自分は、完璧な人間からは程遠いから、せめて、「どう生きるか」というところで、できるだけ短絡的に非難することのないよう心がけていきたいなと思う今日この頃です。。



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