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私の音楽歴(6)
ヴィエニヤフスキ国際コンクールでは、大学で日本語を勉強している
ボランティアの学生さん達が通訳をしてくださり、
とても有り難かったのを覚えています。 またコンクール中、私がリハーサルや練習をしている時に、
母を観光に連れていってくれたりもしました。 まだポーランドが民主化して間もない時期で、
「食事は草履みたいなステーキと、サワーキャベツばかり
出てくるから、日本食を持っていくといいよ」
と先生から聞いて心配していたのですが、行ってみたら、食事は大分
改善されていて、ホッとしたのを覚えています。 そして、コンクールの方は、まさか2位になれると思わず
びっくりしました。 ポーランドの方々は皆親切で温かく、通りを歩いていると
「演奏とても良かった」とか、声をかけられることもありました。 子どもの頃は目立つ存在ではなく、親にもほめられたことのなかった
自分でも、頑張った結果、演奏を認めてもらえたことが
とても嬉しかったです。 でも、今思うと、当時私の考えていたことは、あまりにも
子どもすぎました。 コンクール入賞後、どのようにするべきか、何も分かっていません
でした。 そして、分かっていないまま、進んでいってしまいました。
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すべて表示先日、単発レッスンを受けてくださったお子様のお母様からご感想をいただきました。 「先日はご指導をありがとうございました。 娘は、レッスンを受けて 学びが多くとても充実した時間で嬉しかった、と 笑顔で私に話してくれました。 レッスン後に弾いていた音色が良くなって、 私の心に響き、思わず拍手をしてしまいました。 (廊下でコソッと聞いていました) 」(お母様より) もうかなり曲の進んだお子様で、難曲をレ